修道会の主な歴史
| 年( 月.日) | で き ご と |
| 1815(8.16) | ベッキ(アスティのカステルヌオヴォ)でヨハネ・ボスコ誕生 |
| 1817( 1. 5) | モルネ−ゼ(アレッサンドリア)でドメニコ・ペスタリ−ノ誕生 |
| 1837( 5. 9) | モルネ−ゼのマザレリ村でマリア・ドメニカ・マザレロ誕生 |
| 1841(12. 8) | ドン・ボスコはトリノにおいてバルトロメオ・ガレッリと彼の教育使命を開始 |
| 1843( 5.24) | マザレリ村の扶助者聖マリアに捧げられた小聖堂の祝別 |
| 1848 | マリア・マザレロの家族がヴァルポナスカの家に住むようになる |
| 1855(12. 9) | モルネ−ゼにおいて、無原罪の聖母信心会を組織。 マリア・マザレロは初の5名の会員のひとりになる |
| 1858( 3.16) | マリア・マザレロの父親がヴァルジェラ−タ通りに家を買い、 家族はそこに移転する |
| 1860( 8.15) | マリア・マザレロは、伝染病にかかったマザレリ村の親戚の看病の後、 重いチフスに感染する |
| 1861 | 回復期にマリア・マザレロはボルゴアルトの幻をみる。 「あなたにこの少女たちを任せます」 |
| 1861 | マリア・マザレロは友達のペトロニラと裁縫を学ぶ決意をする |
| 1862(5月) | パンプロの家で最初の裁縫所を開く |
| 1862 | ドン・ペスタリ−ノとドン・ボスコの最初の出会い |
| 1863 | マリア・マザレロはアンジェロ・マッカーニョの兄弟の家に裁縫所のための部屋を借りる |
| 1863 | マリアとペトロニラは、ボドゥラ−トの家に二人の最初の子供を受け入れる |
| 1864(10. 7) | ドン・ボスコ、モルネ−ゼに。マリア・マザレロとの初めての出会い |
| 1865( 6.13) | モルネ−ゼのコレッジョの定礎 |
| 1867(秋) | 会員たちはマッカ−ニョの家から、ドン・ペスタリ−ノから譲られた 無原罪の聖母の家に移転する |
| 1867(12.13) | ドン・ボスコ、コレッジョに建てられた悲しみの聖母に捧げられた聖堂を祝別する |
| 1871(5月) | ドン・ボスコは女子修道会の創立の計画を彼の直接の協力者たちに告げた |
| 1871(6月) | 教皇ピオ9世がそれを承認する |
| 1871(夏) | ドン・ボスコ、ドン・ペスタリ−ノに扶助者聖母会最初の会憲の「草案」を渡す |
| 1872( 1.29) | 未来の修道会の初代の評議員の選挙。 「ヴィカリア(代理)の呼称でマリア・マザレロが初代の上長となる |
| 1872( 5.23) | 初代の共同体はコレッジョに移転 |
| 1872( 8.5 ) | サレジアン・シスタ−ズ(扶助者聖母会)創立。 創立者ドン・ボスコとアクイの司教ヨセフ・シャンドラの臨席のもとに最初の着衣式と誓願式が行われる |
| 1873(12.11) | モルネ−ゼのサレジアン・シスタ−ズの女子寄宿学院と小学校が オルバのカスラレットの教育委員会から認可される |
| 1874(3月) | サレジアン・シスタ−ズの初の最高指導者として ドン・ヨハネ・カリエロがドン・ボスコから任命される |
| 1874( 5.15) | ドン・ドメニコ・ペスタリ−ノ急逝 |
| 1874(10. 6) | ドン・ジャコモ・コスタマ−ニャがモルネ−ゼの共同体の新しい指導者となる |
| 1874(10. 8) | ボルゴ・サン・マルティ−ノ(アレッサンドリア)に最初の共同体を開く |
| 1875( 8.28) | ドン・ボスコによってマリア・マザレロと初期のサレジアン・シスタ−ズが 終生誓願を立てる |
| 1876( 1.23) | 最初の会憲が司教に認可される |
| 1876( 3.29) | トリノ−ヴァルドッコに最初の支部を開設する |
| 1877 | 修道会の会員名簿が初めて印刷される |
| 1877( 9. 1) | フランスのニースに、イタリア以外の国で初の支部が開設 |
| 1877(11. 9) | マ−ドレ・マザレロは最初の宣教女たちとロ−マにおいて教皇ピオ9世に謁見 |
| 1877(11.14) | 南アメリカのウルグアイに最初の6名の宣教女出発 |
| 1878(12. 8) | 最初の会憲の印刷出版 |
| 1879( 2. 4) | 本部がモルネ−ゼからニッツァ・モンフェラ−トに移転 |
| 1880 | サレジオ会とサレジアン・シスタ−ズはパタゴニア(アルゼンチン)に宣教使命を開始する |
| 1880( 4.12) | モルネ−ゼのコレッジョ閉鎖 |
| 1881( 2-3月) | マ−ドレ、センシ−ル(フランス)で重病に倒れる |
| 1881( 5.14) | マ−ドレ・マザレロ、ニッツア・モンフェラ−トで帰天。 26支部、 166名の会員、50名の修練者、22名のポストゥランティ |
| 1884( 8.11-12) | 修道会初の総会 |
| 1885( 8.23) | ニッツア・モンフェラ−トの本部へのドン・ボスコの最後の訪問 <ここに聖母がおられます> |
| 1888( 1.31) | トリノにおいて創立者ドン・ボスコ帰天 |
| 1888(12. 3) | マジェラン地方(チリ)にサレジアン・シスタ−ズ最初の家開設 |
| 1890 | ドン・ボスコの列聖調査開始 |
| 1891(10. 8) | 中東−ベトレヘムに宣教開始 |
| 1893(12. 8) | アフリカに宣教開始−アルジェリア |
| 1897( 3. 5) | カネッロ(ノヴァラ)に少年労働者のための学寮を開設 |
| 1897(10.16) | サレジアン・シスタ−ズは「扶助者聖母」の支部を開設するためにモルネ−ゼに帰る |
| 1904( 1.22) | ラウラ・ヴィク−ニャ、フニン・デ・ロス・アンデス(アルゼンチン)において帰天 (1955年に列聖調査が開始) |
| 1907( 9. 3) | トリノにおいてスオル・テレザ・ヴァルセ帰天 (1926年に列聖調査開始) |
| 1908( 3.19) | ドン・フィリッポ・リナルディの発意によって、 トリノにおいて同窓会連合が始まる |
| 1908( 3.26) | カタニアにおいてスオル・マダレ−ナ・モラ−ノ帰天 (1935年に列聖調査開始) |
| 1911( 6.23) | マ−ドレ・マザレロの列聖調査開始 |
| 1911( 9. 7) | 聖座法による修道会として認可される |
| 1917( 6.19) | サレジオ会総長は、サレジアン・シスタ−ズの使徒的代表者に指名される 1921(12.24) 修道会初の情報誌が印刷される |
| 1922( 4. 4) | 教会法に則った会憲が認可される |
| 1922(11.24) | アジアでの宣教開始−タンジャ−ブ−ル(インド) |
| 1929( 6. 2) | ドン・ボスコ、列福される |
| 1929(12. 6) | 本部がニッツア・モンフェラ−トからトリノに移転 |
| 1934( 4. 1) | ドン・ボスコ、列聖される |
| 1935( 2.10) | スオル・エウセピア・パロミノ・イネス、カミノのヴァルヴェルデ(スペイン)で帰天 (1982年に列聖調査開始) |
| 1936( 5. 3) | ピオ九世、マ−ドレ・マリア・マザレロを尊者として宣言 |
| 1936( 9. 6) | スオル・カルメン・モレ−ノ・ベニデスとスオル・アンパロ・カルボネル・ムノツがスペインにおいて迫害の犠牲となる |
| 1938( 2. 9) | マ−ドレ・マザレロの遺体がニッツァ・モンフェラ−トからトリノの扶助者聖マリアの大聖堂に移される |
| 1938(11.20) | マ−ドレ・マリア・ドメニカ・マザレロ、列福される |
| 1951( 6.24) | 共創立者マ−ドレ・マリア・ドメニカ・マザレロ、列聖される |
| 1951( 8.15) | モルネ−ゼにかつてのコレッジョを再開 |
| 1951( 8.30) | スオル・ラウラ・メオッツィ、ポグルゼビエン(ポ−ランド)で帰天 (1986年に列聖調査開始) |
| 1953( 5. 5) | 奉献・使徒的生活会省より青少年のための扶助者聖マリア信心会の規約が認可される |
| 1954(10.15) | トリノに教育と宗教学のための国際学院開設。教皇庁立教育大学「アクシリウム」(ロ−マ)の前身 |
| 1954(11.19) | オ−ストラリアでの宣教開始−ブロ−クン・パ−ク |
| 1956 | 青少年のための扶助者聖マリアの信心会は、信徒使徒職に組み込まれる |
| 1969( 1.16) | ロ−マにおいて特別総会開催 |
| 1969( 8.25) | スジャ−ナ(エクアドル)においてスオル・マリアトゥロンカッティ帰天 (1986年に列聖調査開始) |
| 1969(10.11) | 本部がトリノからロ−マに移転 |
| 1977( 7. 7) | レオン(ニカラグア)にてスオル・マリア・ロメロメネセス帰天 (1988年に列聖調査開始) |
| 1981( 9.15- | 1969年特別総会による試案の会憲見直しのための 1982 2.27) 第17回 総会 |
| 1982( 6.24) | 第二バチカン公会議の指針によって刷新された会憲が聖座から認可される |
| 1982( 7.12) | スオル・テレザ・パンテリ−ニ、尊者と宣言される |
| 1986( 6. 5) | ラウラ・ヴィクニャ、尊者と宣言される |
| 1988( 9. 1) | スオル・マダレナ・モラノ、尊者と宣言される |
| 1988( 9. 3) | ラウラ・ヴィクニャ、列福される |
| 1994(11. 5) | スオル・マダレナ・モラノ、列福される |
| 1996(12.17) | スオル・エウセピア・パロミ−ノ・イネス、尊者と宣言される |
| 2001( 3.11) | スオル・アンパ−ロ・カルボネルとスオル・カルメン・モレ−ノ、列福される |
| 2002 ( 4.14) | スオル・マリア・ロメロ・メネセス、列福される |
| 2002 ( 9.18-11.16) |
第21回総会 |
| 2004 ( 4.25) | スオル・エウセビア・パロミーノ、列福される |
| 2006(10.23) | マンマ・マルゲリータ・オキエナ、尊者と宣言される。 |
| 2008 ( 9.18-11.16) |
第22回総会 |